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韓国人の考え方を知り対処法を考える

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韓国人の考え方を知り対処法を考える

韓国の反応〜さんのブログです



http://oboega-01.blog.jp/archives/1064536958.html?p=1



引用

http://oboega-01.blog.jp/archives/1064536958.html?p=1

*こういう個人個人の交流の積み重ねが国同士の友好へと繋がっていくと無邪気に信じていた時期が、私にもありました。
今はまったく思ってません。

で、私、ぶっちゃけ以下の二つが好きじゃないです。

①個人交流の積み重ねが、反日教育や反日報道を国教としてやってる国との友好に、将来的に役にたつと本気で思ってて、それを押し付けるように主張してるタイプ。サヨクとかお花畑に多い。

②良い韓国人や仲の良い韓国人がいたという「個人的体験」を嘘扱いしたり全否定したりするタイプ。保守というか嫌韓に多い。

とくに①を否定するために②を持ち出すのは感情論でしかないと思う。
「別枠」として把握すべきだと思います。
国と国は徹底的に損得計算だけを考えてつきあったほうが、長期的にはうまくいく。
「情」的な部分で解決しようとしたら、その瞬間の気持ちよさは得られますが、長期的にはマイナスです。


以下、客観的証拠のない話です。
私の個人的な意見なので、そのへん了解してお読みください。

「善意の競争」という言葉、気になりませんか?
これを韓国がよく使い始めたのは、おそらくですが真央ちゃんがきっかけです。
この言葉で検索すると、スケート関連の記事ずらり。最近はそこまででもないですが、一時期これで検索すると、ずらっと真央ちゃんとキムヨナでした。
韓国メディアがどれだけインケンでゲスかったかというのは、過去に何度も書きましたが、そんなゲスいなかでも、苦心惨憺があったのでしょう。
で、さらにいうと、真央ちゃんがキムヨナについて問われて「切磋琢磨して~」と表現したのを、韓国メディアが「善意の競争」と翻訳したのがきっかけじゃないかなと思ってます。
韓国語にも「切磋琢磨」はあるんですが、日常的に使われてなくて死語化してて、普通に使っても一般的に通じない四字熟語なので、そう翻訳したんじゃないかなと思ってます。
これで思うのは、韓国には「切磋琢磨という概念」が一般的じゃなかったの?という疑問ですね。
さらにいうと、わざわざ「善意」とつけるということは、「競争」という言葉にはネガティブなニュアンスがあって、韓国的には「他者を蹴落とすというような、悪い気持ち」が内在しているということなのかもしれません。このへんネイティブじゃないのでニュアンス的なものはさっぱり分からず、ぜんぶ私の想像にすぎないのかもしれませんが。
ただ、私の想像通りだとすると、私の知る「他人の足を引っ張って蹴落として序列を上げるのを競争だと思ってる韓国」という認識に合致はします。
いずれにせよ「切磋琢磨」を「善意の競争」にするのはかなり違和感があります。なんかニュアンス的にたいぶ印象が違う気がする。ありていに言うと、「切磋琢磨」にはすがすがしさを感じるけど、「善意の競争」はべたべたした善意の押し付けみたいなものを感じてものすごく気持ち悪い。


http://oboega-01.blog.jp/archives/1064465774.html






*日本と韓国には、「戦略を立てるときの考え方」に大きな違いがあるというのを日本人は認識しておかなければいけないと思う。
ここが分からないと韓国の態度が理解しづらい。

日本は「自分たちがしっかりすること」がとにかく何よりも大事だと考える。この考え方によって「日本さえきちんとした対応をすれば、相手もまともな対応をしてくる」と考えがちだし、仮に相手がまともじゃない対応をしてきたら、「日本側の対応が間違っていたからだ」と考えがちです。もちろんこれ自体はまったく間違った考えではないと思います。

逆に韓国は、それよりも「相手に問題を渡すこと」が何よりも大事だと考える。戦略の第一要素が「とにかく敵を混乱させる」「とにかく敵に荷物を持たせる」みたいなもので、自分自身がちゃんとすることは二の次なんですよ。これもね、ゲスくはあるけど間違った考え方ではないです。孫子の兵法的には大正解ですから。日本はこれがとにかく下手くそだと思います。てかむしろ「相手の荷物を軽くしてあげれば感謝してもらえるから日本にとっても得」みたいな考え方をしがち。

スポーツでいうと、自分自身を磨いて努力するのが日本。相手の弱点を突きまくってマリーシアするのが韓国という感じでしょうか。日本人はとにかく前者がダイスキですよね。でも政治においては間違いなく後者も大事です。もちろん前者と後者の両方をあわせ持つのが至高だと思います。韓国の外交には前者の考え方が足りず、日本の外交には後者の考え方が足りず。

このブログをやってて知ったことの一つに、「ボールを渡す」の意味が分かってない人がいるということがありました。
たとえば、「今、ボールは日本にある」というような言い方をよく見かけますよね。これが、日本にとって良い状態なのか悪い状態なのか分からない人がわりと多いんだなということ。
答えは、「ボールが日本にある」のは悪い状態です。スポーツなら持たされてるときもあれば持ってるときもあり、状況によって変わるんでしょうけど、こういった政治問題における「ボール」は「お荷物」と言い換えるのが正しくて、お荷物なんて相手にさっさと渡すべきであって、日本は持たされたらいけないんです。慰安婦問題でいうなら、日本はずっとボールを持たされっぱなしのアホな状況にありました。
なぜこういう勘違いが生まれるのかというと、「ボール」を「主導権」「選択権」みたいなものだと誤解してしまうからなんだろうなと思います。もちろん主導権は自分たちが握るのが正解なんだけど、ボールは相手に持たせるのが正解ですね。
これ、言葉の上の話でなく、お荷物を持ってるだけなのに主導権を持っているんだと勘違いして、その状態が日本にとって得な状態だと錯覚してる人がいる。
でも韓国の戦略はこれなんです。→「ボールを日本に持たせ続けること」

慰安婦合意で安倍政権がやったことというのは、結果論かもしれませんが「ボールを韓国に渡した」ことです。全部は渡せてません。一部です。でもそれで韓国は発狂しました。

韓国が今やってるのは、「持たされたボールを日本に返すための努力」であって、「自分たちが問題を引き受けてしっかりと対応する」というのは考えません。根本的にあの国はそういう考え方をしないんです。
韓国の外交努力というのは「責任を引き受けて対応すること」ではないんです。「いかにして責任を相手に押し付けるかを必死で考えて実践する」のが、あの国の考える努力のカタチです。
韓国メディアの論調にはいろいろ違いがありますが、戦略の根っこにそういった考え方があるという意味においてはわりと同じです。

あの国をゲスいというのは簡単ですが、それよりももっと大事なのは、日本人はあの国のこういった考えかたを知り、やり返す(韓国が持つボールをどんどん増やしていく)方策を考えることだと思います。
日本側がボールを持たされっぱなしでどんどん状況が悪化していくなかで、「韓国なんて相手しない!同じレベルに落ちたくないから!」とか日本国内だけで言ってる間抜けな姿、正直私は見たくないなって思ってしまいます。



http://oboega-01.blog.jp/archives/1064451456.html?p=1




*で、さらにそのフリーダムに活動していた4万人の独立団体とやらは、「20万人の若い朝鮮人少女が日本軍によって強制連行されていること」について、当時なぜ何も言わなかったんでしょうね?
こんな異常な歴史を信じられる人は脳みそのないアホです。

ちなみに新幹会を独立運動団体と呼ぶのはかなりの誤解を生むもので、なぜなら朝鮮総督府の統治を認めたうえで自治権を確保しようとする人が組織のトップにいた団体だからです。
ただ、社会主義革命を目指すアカい人たちが内部にいて、彼らと連携をはかろうとする民族主義者も内部にいて、そのせいで朝鮮人同士で分裂に分裂を重ね、まったくまとまりがつかず、特別な成果など結局なにもなく、4年弱で自分たちで解散決議して終わったものです。
朝鮮人が自分たちで政治団体を設立し、自分たちで分裂し、自分たちで解散を決める。フリーダム!
ホント、「世界で最も悪逆非道な植民地支配」をしてたという「日帝」はいったい何をしてたんでしょうね。「世界で最も悪逆非道な植民地支配」なら、軍隊投入して弾圧して強制解散させて逮捕しまくるなり虐殺しまくるなりしないと。



http://oboega-01.blog.jp/archives/1064443498.html?p=2



>>翻訳お疲れ様です。いつも興味深く読ませていただいてます。
みずきさんに質問なんですが、日本語訳された無明氏の文中に「確信犯」とあります。
この文脈だと"虚構を知った上で、わざと"という意味で使用されてるように見受けられますが、韓国でもこのような誤用が氾濫しているのでしょうか?
もしみずきさんの意訳であれば「故意犯」あるいは「わざと」といった語に修正していただくことを推奨します。
私はこの明治に定義されたばかりの、非常に厳格で慎重に用いられるべき専門用語がしばしばややこしい形日本の知識層でも誤用されている現状を深刻な社会問題だと認識しており、枝葉末節ですがつい気になってしまいました。
失礼しました。


確信犯についてですが、私は「"虚構を知った上で、わざと"という意味も正しい派」なんです。
そもそも言葉は生き物だと思ってるし、確信犯の誤用から生まれた意味についてはもう辞書にも正解として載ってますし、元には戻せないと思ってるからです。
ちなみに私はまだ受験などでは完全に誤用扱いされる「ら抜き言葉」なんかも積極的推奨派で、もはや日常語としては不便な遺物になってて、ら抜きしまくりなのに、受験のときや書類を書くときだけ真面目に守るような状態で、こんなイビツさならもうルールのほうこそ変えて「どっちも正解」にするべきだと思ってます。
で、私のこういった主張は私のオリジナルではなくて、言語学者の金田一春彦先生に感銘を受けて、金田一先生の主張をほぼそのまんまパクッたものです。

ちなみに韓国でも「確信犯」はまったく日本と同じように使われてますね。
ちょっと調べてみましたが、本来的な意味においても、変化した意味のほうがよく使われているのも、誤用論争がおきている点についても、笑えるぐらい日本のコピー状態みたいですね。もちろん韓国では「日本のせいで誤用するようになったニダ」という説明がついてますけど。
これは確かに「日本のせい」です。
韓国は、ドイツ由来のこの言葉を、日本経由で漢字語として韓国国内に持ち込んで、その際日本人が使用していた誤用も込みで翻訳され、結果として日本と同じような状態でこの言葉が流通&定着するようになったからです。

今回調べてはじめて知ったことですが、言葉だけじゃなく、誤用から誤用論争まで日本のコピーって、、、あの国はホントすごい国だわと思いました。笑




引用以上


韓国人の考え方をみずきさんは良く理解しています。日本人には無い考え方を彼らはしているわけです。その事を知り対処法を考えなければならないと思います。
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